Playground of Eyes

「地球が回転する音を聴きたいと想いながら」

眼を閉じても浮かんでくる情景というものがある。
耳をふさいでも聞こえてくる音はないだろうか。
耳を澄ましていると見えてくる映像。まばたきの合い間に聴こえてくる音。
人の聴覚には限界がある。耳に聴こえてくる音だけが存在する音の全てではない筈だ。
聴覚に頼らずに音を受け止める事を考える。
音を耳で聴きとるという行為から解放してやれば、もっと様々な音を感じ取る事が出来るかも知れない。
全ての事物は変動している。
一見静止しているかに見えるものでも、永い時間の系で考えれば、視覚的に認識しにくい速度で変化している。
という事は、もしかしたら全ての物事は何らかの「音」を発しているのではないだろうか。
それが聴覚に働きかけてこないので気がついていないだけかも知れない。
聴きたくなくても耳に入ってくる音。聴きたいと願っても姿を見せない「音」。
花の咲く音、光が屈折する音、月が満ち欠けする音、時の経つ音・・・
音楽家が全ての物事や感情を音の連なりに置き直して来た様に「音」に形を与える事を考えた。
ただそれは、耳をふさいだ方が聴きとりやすい「音」かも知れない。

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